|
|
|
|
| 海と船 2006 2006年11月26日UP |
|
 |
|
|
|
 |
|
今年撮った海と船の写真です。
私は四国の徳島で育ったので、若いころ本州に渡るには船しかありませんでした。岡山に渡る宇高連絡船は比較的大きな船でしたが、大阪や和歌山に渡る船は200-300トン前後の船でした。晴天の時はよいのですが、船が飲み込まれるぐらい揺れたこともあります。
海水浴に行っていた海が、チリ沖地震の時には津波になって襲ってきました。台風の時には高潮で海水が土手を越えて流れ込んでくる中を避難した記憶もあります。静かな海は包み込むようなおおらかさを持っていますが、荒れる海は本当に怖いという印象があります。
海は同時に自分の気持ちを写し出すようなところもあります。悲しいとき、寂しいときにみる海は限りなく沈んで見えます。楽しいときに海をみると、その向こうに広がる限りない世界に想いをはせることもあります。
最初の方から、5月に撮った津軽海峡の写真と、11月に撮った東京湾海ほたる付近での海上保安庁の訓練中の写真、そして鳥取、島根の海と船の写真を掲載させていただきました。
|
|
|
|
|
|
 |
|
岸は竜飛岬です。この日、波は静かですが、こんなことは滅多にない荒々しい海が津軽海峡です。ここへ来るといつも石川さゆりの津軽海峡冬景色の歌が思い出されます。
そして1954年に起きた洞爺丸遭難事故のこと。台風のさなかに出航、函館湾内に停泊しようとした青函連絡船洞爺丸が座礁、転覆し1,172名という多くの方が亡くなった事故です。三浦綾子の氷点に出てきます。氷点は若いころに読んで強い印象を受けた本です。その最初の部分にこの遭難事故のことが出てきます。現在、青森港には青函連絡船の記念に八甲田丸が展示されています。展示の案内役の女性に洞爺丸遭難のことを教えて欲しいと言ったら、「えっ、何ですか、それ」という返事しか帰ってこず、落胆したことがありました。
|
|
 |
|
 |
|
| 朝日の中を船が出ていきます。 |
|
5月ですが近くの山にはまだ雪が残っています。三厩漁港から出港。釣りに出かけたときのものです。 |
|
 |
|
 |
|
| 出漁する船、そして帰港する船。 |
|
この日は静かな海でしたが、それでも私はこんなふうに船縁に立つと、1秒後には海の中です。海流が早く水が冷たいので、水泳には不向きです。 |
|
 |
|
 |
|
| むこうに見えるのは北海道です。洞爺丸が遭難したのは北海道側です。 |
|
向こうは竜飛岬です。 |
|
 |
|
 |
|
| 11月海上保安庁が東京湾の海ほたる周辺で訓練中の写真です。 |
|
カモメが見送っています。 |
|
 |
|
 |
|
| 訓練中とはいえつり上げられる隊員は大変でしょう。下の水面をみているとヘリコプターの風圧が判ります。船も押されるぐらいの風圧です。 |
|
さあ、もうあと少し。 |
|
 |
|
 |
|
| 放水訓練中ですが、上にできた虹が判りますでしょうか。 |
|
実は訓練とはいえ、海ほたる付近で、海上保安庁が観光客を相手にデモンストレーション中。実際にこんな色が付いた放水をされると、された方がたまりません。 |
|
 |
|
 |
|
| 隠岐の島前の別府港(西ノ島)と、知夫、海土の島をつなぐ船です。郵便もこれで運ぶんですね。生活と直結した海と船。 |
|
本州の境港、七類と隠岐(島後、島前)を結ぶ高速船です。この日の乗客は30人程度。赤字ではないかと心配になります。 |
|
 |
|
 |
|
| 美保関港。軒先にはイカが並べられて干されています。そして焼きイカ売りのおばさんの声。なんとものどかな港です。 |
|
美保関灯台です。向こうは日本海。灯台の横に見える建物は喫茶店です。 |
|
 |
|
 |
|
|
美保関半島北側の日本海に面した海岸線です。 |
|
|
 |
|
| 美保関灯台。真っ白のきれいな灯台です。 |
|
美保関半島北側のチェリーロードの1枚。桜の季節にはすばらしい景色でしょう。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
|
|
 |
|